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私のこれまでの人生にも出来れば思い出したくない時期が何ヵ年かあります。学校で来る日も来る日も面白半分に嫌がらせをされた頃、仕事がなくて「毎日ブラブラしやがって」と父親にののしりまくられた頃、会社で怠業しまくる同僚どもを告発したが為にやはりいやがらせされまくった頃、その他etc・・・。いつもは心に封印をかけているので思い出すことも稀だったのですが、ねぎちゃん様の(無題)を読ませていただいて・・・つい思い出してしまいました。(ちょっと・・・涙。)
「自分などは要らぬ存在なのではないか」と思ったことも何度あったことか。同じですよ。私なども。
でも、そんな落ち込んでいる時、気がつくと何処からか励ましの言葉がつきつけられていることが、よくありました。読んでた小説やら、TVドラマから。
「いかなることがあろうと、わしは生きる。生きて生きて、生き抜いてみせる。」(NHK「真田太平記」)
「なるほど、いまのお前は辛いだろう。苦しいだろう。だが、それでもなお、人は生きてゆかねばならないんだ」・・・「お兄ちゃん、ぼくは見たよ。お兄ちゃんが苦しい、苦しいっていいながら、それでも戦っているところを。だからぼくも負けない。ぼくも戦う。ぼくは生きるよ!」(「仮面ライダーアギト」)
・・・落ち込んでいる時にこんな台詞を聞くと、すっかり感動してしまって気力を取り戻し、それでなんとか持ち堪えてきたような人生です。(単純ですね〜。) それと、やはり遠藤周作先生・著の「イエスの生涯」は大きかった。神さまだの、聖書に書いてあることだのはほとんど信じてませんけど、遠藤周作先生が造形した日本人向けのイエス像は、苦しみ悩み悲しむ人とその苦しみを分かち合い、社会から疎外されたような者たちを愛し、愛されることを忘れたような惨めな人々の生涯の同伴者にならんと苦悩する、孤独な人物として描かれていました。溢れるばかりの愛はあるが無力ゆえに苦しむイエス。そこには聖書なんかに書かれているサイキックでくそ面白くもないイエス像とは懸け離れた、身近で共感できる人間像がありました。そして生涯の同伴者をひとり得たような感動がありました。・・・・あまり上手く表現できませんが大変感動し、なんども読み返したのが事実です。「宮本武蔵」と「イエスの生涯」こそ、わが力です。ま、それはともかく・・・。
とはいえ、辛いことだからこそ、たとえ昔のことであっても忘れられないのが人間です。傷つけた者、関係のない者ばかりが「昔のことは忘れろ」なんて無責任なことをいうのです。私も学生時代、自分を虐めたヤツの顔を見かけると不快になる自分を抑えられません。
私の心にも闇がありますが、ねぎちゃん様の心の闇も深そうですね。少しばかりの言葉では言い尽くせるはずもない、重い話になりそうなので、ゆっくりじっくり話しましょう。
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