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弱き教会員様
嵯峨野教会聖書研究室にようこそいらっしゃいました。
引用文を質問とされているようですが、どこの誰がそうした事柄を聖書の矛盾点と
して紹介しているのか理解に苦しむものがあります。
いくつもありますが、順番に片つけていくのがいいですか。まず列王記とイザヤの
重複の問題は、これは列王記を書いたのがイザヤであることを思い出せば即解決し
ますから、そもそも問題にすらもなりません。マタイとルカの系図が違う事を問題
視している人はよくありますが、これは一方はヨセフの家系でもう一方がマリアの
家系であると考えれば理解しうることなのでここで多くの説明を必要としないと思
います。詩篇の「14章と53章」と言っていますが、詩篇は「章」ではなく「篇」と
数えますので、明らかにこれは聖書を読み慣れない人の質問とわかります。それは
横に置いたとしても、これは聖書の矛盾ではなく、聖書の謎というべきものです。
バビロンに捕囚されたユダヤ人たちがエズラの時に原典から丁寧に書き写していた
時点でこの重複に気がつかなかった筈が無く、重複も摂理として受容してそのまま
残した以上、そこに我々の未だ理解していない神の摂理の故であると考えてよいと
思います。私はその理由を以前から調べていますが、私の考えを述べることは時期
尚早として保留にします。
さて、問題は、はじめの出エジプト記20章と申命記5章の安息日遵守の理由が違
うと言っているのと、テサロニケの聖句「主が来られる日まで生き残る私たちが」
が事実と異なるという悪魔的主張です。一体この質問した人は何年クリスチャンを
やっていてこんな愚問をしたのかと情けない限りです。前者の質問は、ユダヤ教の
世界でも有名な歴史的議論になっていましたが、SDAは割と簡単にこれに対して
答えを出せるのではないでしょうか。後者の質問は聖書に対する無知から出たと言
うよりは、ほぼ言いがかりに近いものですが、求道者がした質問であると思えば聖
書に対する悪意を感じず、みなさんでも説明することが可能なものであると思いま
す。そこでこの二つは読者に対してオープンに解答を募集します。われこそと思わ
れる方は、嵯峨野教会牧師に替わってお答えを試みてください。期限は1ヶ月です。
一応お断りしておきますが、これは決して聖書の教理の難問ではありません。
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