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お気づきのように、二人の証人を新旧約聖書に当てはめるためには、黙示録の預言
の箇所がフランス革命のことを指し示しているという前提が必要です。フランス革
命の時に聖書が禁じられたという歴史的な故事に基づいて預言の解釈がなされてい
ます。つまり、黙示録の預言はそれが書かれた紀元1世紀のことではなく、適用範
囲が時代的に未来に広がっているというキリスト教会共通の認識に基づいています。
前にもテサロニケやローマ人への手紙が我々に充てられたものか、その当時の地中
海沿岸のローカルチャーチの人たちだけに当てられたものかというようなキリスト
教の初心者クラスでもしないような超初歩的な議論をして自ら躓いていた人があり
ましたが、そういうのはいかにお話にならないかがこれでも良くわかると思います
。たとえばテサロニケの手紙がテサロニケ教会の人々だけではなく、パウロの語る
証しの視線は彼らを突き抜けて全時代に向けられたものであると考えるのは、黙示
録の預言の背景がはるか数世紀以上先の歴史上の出来事にあると考えるのと基本的
に同じ発想です。それがフランス革命の預言と結論するのが正しいか否かという次
元の問題ではなく、それ以前に、まず聖書の記載内容の認識が近視眼的な即物解釈
に在らずして時代を超えた預言性を考慮するものであるという事に於いて既に我々
の教会(SDA以外の一部プロテスタント教会も含む)では合意があるという事を
ここで疑問の余地のない基本事項として押さえておく必要があります。聖書をそう
いう風に解釈する方法は「終末論的解釈」とも言われます。我々はもちろん聖書を
終末論的に解釈しています。それはセブンスデーアドベンチスト教会の設立趣旨か
らしても当然のことであります。
その上で、二人の証人が聖書であることを証明するためには、その預言がフランス
革命の時代を指していたと結論されなければなりません。それができるかどうかを
考えてみてください。そもそもフランス革命とは何だったのでしょうか。世俗の歴
史家たちはこれをヒューマニズムの封建制度に対する勝利とか、誉めそやしていま
すが、本当にそうだったのでしょうか。大争闘には何と書かれていますか。
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