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原罪

 投稿者:草鞋  投稿日:2008年10月22日(水)09時08分32秒
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  はじめまして
ヨハネの第一の手紙1章〜にありますように、私自身も含めて、すべての人間は罪びとであることは同意します。一方、エゼキエル書14章14節には「たとい、そこに、ノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。――神である主の御告げ。――」とありますように、自分たちのいのちを救い出す事の出来る3人の義人が記されています。ところが、ローマ人への手紙5章12節「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。」とあります。すると、ノアとダニエルとヨブの3人の義人にもやはり、罪が入っていると言う事になります。アダムとエバが、食べてはいけないと言われた木の実を食べて、全人類に罪が入ったとパウロは主張している訳ですが、罪の何がアダムとエバから遺伝したのでしょうか?原罪とは何なのでしょうか?へブル人への手紙7章9節〜10節「また、いうならば、十分の一を受け取るレビでさえアブラハムを通して十分の一を納めているのです。というのは、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたときには、レビはまだ父の腰の中にいたからです。」を用いて、連帯の原理であると説明されている解説を読みましたが、原罪が人類一人一人にどう繋がっているのか、すっきりしません。どう考えれば良いのでしょうか?
 
    (牧師) このように考えてみるとよいと思います。アダムとエバの罪の結果はその子孫の人類だけではなく、自然界にも及びました。動物は凶暴になり、病気が発生し、自然災害が起こるようになりました。自然界が「原罪」を認識して、自然界に罪の呪いが現れたわけではありませんし、遺伝によって動物に原罪が伝わったのではないのが明らかです。「原罪」というのは初代教会のアウグスチヌスらの教父が付け加えた抽象概念であり、神から離れていて罪を犯す傾向にある状態そのものを「罪」として、そう呼んだものに過ぎません。神の戒めに従わない行い、思いは、そうした状態から発生するという意味において、その状態を観念的に「罪」と呼んでいるのですが、聖書にはそういう罪の定義はないのです。それは遺伝するものではなく、自然界に下された呪いと同様に、私たちが生まれたときから私たちの周りを包んでいる状況ともいえます。キリストはそういう状況を改善されますが、それは私たちの本当の罪そのものではなく、罪へ向かわせる傾向であると今は理解してみてはいかがでしょう。もちろんこの説明は十分ではないと思いますが、必要であればまた説明を追加してゆきたいと思います。  
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