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霊性とは何か その3

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2009年 1月12日(月)06時29分10秒
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  ヨハネの福音書の第一章のはじめから初めに言葉があったと書かれています。この
言葉は神と共にありました。言葉は神でした。その言葉とは何でしょうか。英語で
しょうか、日本語でしょうか、へブル語でしょうか。いいえ、どちらでもありませ
ん。私が最初にアメリカに来て英語がわからなかったとき、人は私に「日本語で考
えるのはやめて英語で考えるようにしなさい」とアドバイスされました。しかし何
年か経って私がてんかんと大脳皮質生理学の理解を深めていたとき、はっと気がつ
いたときには私の頭の中では実は英語でも日本語でもない言葉によって考えていた
ことに気がつきました。日本語しか知らない人、英語しか知らない人は、それぞれ
自分はそれぞれの言葉で考えていると思い込んでいますが、人の心の中にはそうい
う形になった言語以前の言語があり、それが日本語なり英語なりの形を取って外に
押し出されてくるのです。外から語られる言葉も伝道者の足によって運ばれ、耳に
入り、脳の中で英語でも日本語でもない言葉に変換されます。それがあなたの魂の
糧になるのです。言い換えると、人間の霊は神の霊の言葉に共振することができま
す。神の霊のパラダイムがあなたの存在のパラダイムと一致するときにあなたは神
の言葉をその一句一句を希釈することなく受容できるのです。感受性とは情操の一
部ではありません。それは神の言葉、天国の秩序と救いの論理です。この世にはい
わゆる「思いやりの深い人」という人があって、そういう人は人が何を考えている
か、どういう気持ちでいるかを察することができると主張しています。しかし、そ
ういう人が必ずしも神の想い(みこころ)を洞察することが出来る人であるとは限
りません。それは人間の作ったあらゆる伝統や思想や常識と一致しません。常識を
重んじることはそれなりに大切であるとしても、常識があれば救われるわけではな
いのです。神の啓示は人間社会の常識や思想と多少似たような所が重なるとしても
違うのです。聖書にも人間の生まれながらの性質は救いにいたらせません。まして
生まれながらの性質の人間の作った人間世界の伝統や社会秩序はなおさらです。あ
なたの脳が、日本語や英語以前の神の言葉によって、神の想いを受け取ることが出
来るかどうか、それが霊性なのです。
 
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