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イエスの母マリアの扱いについての教会論争が巻き起こった。428年にコンスタンティノープル総大司教となったネストリウスは、「聖母マリアはキリストの母と言えるが、神の母とはいえない」と主張していた。これが発端となってキリストの位格をめぐる論争が起こる。431年、皇帝テオドシウス2世が開催したエフェソ公会議で、アレクサンドリアのキュリロスと呼ばれる人物がなした説明が正統信仰として決議され、神の母マリアと呼ぶことが公認された。ネストリウスと彼に同調する人々は異端として断罪され、上エジプトに追放された。彼はそこで没した。ネストリウス説の同調者は逃れて、西方教会(ローマ・カトリック)と分裂して独自に活動し、イスラムの支配下で活動が許され、インドを経て中国(唐)に布教し、「景教」と呼ばれて栄えた。景教は現在のトルコから中国まで、シルクロードを介してユーラシア大陸に広く弘まり、13世紀中頃には首都大主教27と主教約230を数えた。しかし、14世紀末のティムールの遠征と迫害で急速に衰退し、現在はイラク北部に8万人、南インドに7000人の信者がいるとされる。当時の景教徒は安息日を守り、一切偶像を造らず、律法で禁じられている食物を口にせず、「10分の1献金」を行い、犠牲の献げ物をし、3大祭礼を守っていた。
イエス信徒には、12月25日をイエスの誕生日として祝う習慣もなかった。12月25日はローマが崇拝していた異教の偶像=ペルシャ起源の太陽神ミトラの誕生日で、旧約時代にはバベルの塔を建設しようとして神の怒りを買ったニコデモの誕生日でもあり、彼らにとってはむしろ忌むべき日であった。キリスト教徒がこの日をイエスの誕生日とするのは354年、ローマの司教リベリウスのときに、それを決めて以降のことである。ちなみに、新約聖書にはイエスが馬小屋で生まれ、祝福されたという記述はどこにもない。また、福音書では、野営していた羊飼いたちの前にイエスの誕生を知らせる御使いが現れるが、太陽暦の12月25日頃には野営は行われない。ユダヤの口伝律法ミシュナーによれば、牧童たちが野営できる季節は、初めの雨(秋の雨)までの期間で、11月以降は寒さのために野営しないと記されている。
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