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聖所・至聖所(res.)

 投稿者:かもめ  投稿日:2009年 5月13日(水)03時05分39秒
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  HP閲覧者様
あなたがコメントした聖所と至聖所に関する二つの英語聖書では、かかるクリティカルな
語の訳を比較するのは、適切なこととは言えないでしょう。
管理者様が「ヘブル語から直接訳したKJV」とコメントしていますが、残念ながらこの訳
も、一部意訳と思しき訳が見られます(ダニエル8:14)。KJVは、ここで"days"という訳
をとっていますが、これはやりすぎかと思われます。
レビ記16章は、聖所における日ごとの罪の処理によって生じたものを、年に一度の聖所全体
の"きよめ"に関する包括的な記述がなされており、全体を注意深く読み解き、神の御意を
悟ることができれば幸いでょう。
また、このことと、キリストの十字架、そしてまことの聖所におけるキリストの御働きと、
最終的なる罪の除去と、新しい世界に想いを馳せることができれば幸いでしょう。
 
    (牧師) 相変わらず奥歯に物が挟まったような発言ですが、文意がわかりません。わかりやすい日本語の発言をして下さい。
まず、何が適切ではないのですか? 引用元となった2つの英語聖書が適切ではないのですか、比較自体が不適切なのですか。一方、クリティカルな語と認識しているにもかかわらず訳が異なっている事を指摘するのがなぜ適切ではないのですか、説明が無いので全く理解できません。クリティカル【critical(=重要)】な語なら厳密な比較評価がなされるのが当然ではありませんか。これでは独り言を書いているようなものです。KJVの訳語への批判も同様です。
レビ記16章は包括的な記述であると解釈するのは、正しくないと思います。これは聖書の神の民の歴史から見ても明らかなように、律法の書であり、神が当時のイスラエルの民に与えたディーティルを詰めて指示されたものです。後世の我々が勝手な深読みをして恣意的な意味を追加するものではありません。言葉の正しい理解をせずに全体を正しく解釈することは出来ません。
キリストの十字架による罪の除去に思いを馳せるのはよいですが、SDAの教理の正しい理解を奨励してください。
 
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