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下に大河平の名前をかたる発言者が現れましたので、簡単に大河平の紹介をしてお
きます。大河平輝彦という青年は九州鹿児島の出身者で、薩摩藩の士族の出身です。
彼は明治時代にパシフィックユニオンカレッジ(PUC)に留学しました。彼はある
日のカレッジのべスパーの時に立ち上がって、日本が如何に霊的に遅れた野蛮な国
であり、キリストの救いを必要としているかを訴えました。それによって心を動か
された当時の学長のグレンジャーが日本に来た最初のSDAミッショナリー(宣教師)
となりました。グレンジャーと大河平は二人で劣悪な住居に泊まり東京で伝道を始
めました。それが日本のSDAの始まりです。グレンジャーと大河平のキリストにあ
る熱意はともかくとしても、神学的に根を詰めた厳正な理解をもっていたか否か、
特に1888年のミネアポリス世界総会事件の事をどの程度理解していたかはよくわか
りませんが、結果的にその後の日本の伝道は神学的にはある程度の線は抑えながら
も、SDAの思想的内部対立の整理をつけないままの大雑把なものであったことが後
にリベラリストの台頭を許す素地になったのは残念なことと言えましょう。私も結
果的に大河平の行ったパシフィックユニオンカレッジに在学して、デズモンド・フ
ォード神学の事件の影響をもろに食らった学校で霊的嵐のような経験をしたのは奇
遇であったと思います。大河平は熱意を伝えましたが、嵯峨野教会牧師は正しい神
学に基づく聖書理解を戦闘的に語り続けてゆきたいと思います。
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