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夜明けを起こす人々−the WaldensesとAnabaptist派
4世紀以来1千年以上 中世の暗黒の中に閉じ込められた安息日の真理に夜
明けをもたらしたのは12世紀に起こったワルデンセスWaldensesだった。13世紀に至
りヨーロッパの22カ国に拡散したワルデンセス改革者の息吹の中に既に安息日の回
復の姿があらわれたことを歴史家たちは確認している。
このような歴史は清教徒と共にBaptistの霊的ルーツになっている16世記
の忠誠的で徹底的だった改革者たちだったAnabaptist派から一段と明確になった。聖
書だけを信条とし幼児洗礼を初め中世カトリックの全ての儀式と伝統を徹底的に排撃
したAnabaptist派の中には安息日を遵守する群れがあらわれた。その代表的な指導者
はカトリック司祭からAnabaptist派に転向したOswald GlaitとAndreas Fischer夫婦
だった。
ダニエル書を深く研究した末、彼らは安息日は変更できぬ戒めだったこと
に気づき、それが日曜日に変わったのはダニエル書(7:25)に予言されてる通り、
“時と律法とを変えようと”した小さな角である教皇権によることを確信した。
Fischerはこのように文で証言した。
証:Fischer
“聖書には安息日に対し頻繁に言及しているが、もし日曜日に関して言及する聖句
があれば私は安息日の代わり日曜日を守る。 …モーセと預言者たちと新約聖書は
十戒の遵守を命令しているため安息日も含まなければいけない。ヤコブやパウロに
よって律法が言及された時、その律法は安息日を含むものだ。その上、まして信仰
は律法をたてるため「ローマ3:31」安息日もたてるものだ。”
このような教えは当時のローマカトリックやプロテスタント一般にとっ
て脅威とされ、Fischer夫妻は1529年即時異端として逮捕され、妻は生きたまま溺
死させられ、Fischerは1539年城郭から投げ落として殺された。Glaitは1546年手足
を縛られたまま夜中にドナウ川に投げ込まれ中世期霊的暗黒の鎖を断ち切って真の
安息日を復興させるために高い犠牲を支払った。
新世代のBaptist−セブンスデーバプテスト
ついに朝が明けてきた。日曜日を第七日安息日と信じ聖とするなど与えら
れた光に忠実で最善を尽くし生きてきた清教徒たちに真の光がやってきたのだ。国教
会「聖公会」を去り会衆派清教徒牧師として活躍したJohn Traske 1583~1636は1616年
ロンドンのMill Yard教会で集会を指導していた中で彼に学んでいた会衆の中の一人の
Hamlet Jacksonから第七日安息日を紹介され相当数の会衆と共に安息日を遵守するよ
うになった。結果として1617年Mill Yard教会は会衆制度を維持しながら幼児洗礼を
否認し第七日安息日を遵守する最初のSeventh Day Baptistsになった。
信仰と良心の自由を極めて尊重し、各人が聖霊の引導で啓発された良心を
従い自由に聖書を研究し自ら信仰を守り進み、信者に水に沈む浸礼を授けるなど正統
Baptistの全ての信条に忠実でありながら聖書上の第七日を安息日として守るSDBこそ
がBaptistが産んだ長子である。しかし異端として告発されたTraske牧師は苛酷な拷
問と海上監獄での苦痛を耐えきれず信念を曲げたが彼の会衆は散らばらなかった。彼
の妻Dorothy Traskeは16年間牢獄で高潔な信仰を守りながら獄死してしまった。
歴史の記録に残ったMill Yard第七日Baptistの二番目の牧師は、英国の世
国王、ジェームス1世とチャールズ1世と2世の宮廷医師だったPeter Chamberlinだ
った。第三代牧師はJohn Jamesだったが、彼は1661年10月19日安息日説教中に逮
捕され次の月26日絞首刑に処された後、首を切られ長竿にさされ、Mill Yard教会の
庭に晒されて安息日遵守の報いとして公開された。こうして “神の戒めを守り、イ
エスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。そし
て海の砂の上に立った”(黙示録12:17,18)サタンの憤怒が露骨的に表現さ
れた。
翌年の1662年改革信仰のため投獄された国教会牧師Francis Bampfieldは個
人的な聖書研究の末に第七日が聖書的な安息日であるのに気づき、9年間の間、伝道
をし続け、“第七日Baptistドルチェスタ監獄教会”をたてるに至った。出獄後、再び
安息日を教えた罪目で3度も投獄された後1684年70歳の高齢で寒く湿ったNewgate監
獄で息を引き取った。
米国に移植された安息日
殉教者の死はいつも真理の種になり、より増えるものだ。Bampfield牧師
が牧会した教会から出た熱誠ある信者Stephen Mumfordが立って安息日のメッセージ
を持って1664年米国のロードアイランドに渡っていった。彼はそこにいるBaptist
信徒たちに、十戒の不変性と第七日安息日遵守を熱心に教えた結果、数人の清教徒
信者たちを導いた。しかしここのBaptist教会までも彼らを異端とみなして迫害し
1671年12月23日Mumford内外を初め7人の信者たちがそこからでて信仰共同体の
盟約を結び新大陸で一番目になる第七日BaptistをロードアイランドのNewportに建て
た。ついに新大陸に安息日の真理が根をおろした。
1802年に9人の牧師と1130人の信者で総会を構成したSDBは、まもなく起
きる超教派的な大覚醒運動の結果で形成された一団の再臨信者たちに彼らの命を捧
げ守護した安息日真理を伝達した。それによって第七日安息日イエス再臨教(SDA)
の出現を後押しした。これは16世記におきた一連の未完成の宗教改革のプロセス
の総仕上げとする摂理だったことが歴史から明らかである。
(連載として散発的に続きます みなさん適宜ついてきて下さい)
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