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“救い”について

 投稿者:弱き者  投稿日:2009年 8月13日(木)06時09分18秒
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  主を信じる私達の間で、“救い”という言葉をよく耳にします。

ローマ人への手紙1:16“全て信じる者に、救を得させる神の力である”と書いてあります。

この“救い”とは、何からの救いなのかと改めて考えています。

主は私たちを救われる。果たして、それは何からの“救い”なのか。

改めて考えると、その言葉の重さを感じます。

私は、“救い”とは、罪の結果である“死”からの救いであると考えています。

改めて“救い”とは何なのか教えて下さい。
 
    (牧師) 何から救われる事が救いなのかという疑問に正しく答えるには、神があらわされた聖書以外には答えはありません。
まず、人が救われなければ必ず死ぬべきであるという状態になったのはいつからであったかという問いには、創世記のエデンの園の最初の堕落の事件が出発点だったことがわかります。それによって救われる結果は人間が堕落して神から離れる前の状態に戻るということがわかります。
次に、信仰によって救われる歴史的実物教訓として聖書に綿々と語り継がれているのは、イスラエルの出エジプトの経験です。出エジプト3:8にあるようにイスラエルの民がエジプトの奴隷の状態から救われたという言葉が、ユダヤの過ぎ越しの祭りのテーマとして延々と今日まで語り伝えられています。キリストの十字架も過ぎ越しの祭りの子羊の犠牲として掲げられ、イスラエルの民をエジプトの奴隷から救ったように、今日の我々もまた罪の奴隷からキリストの犠牲の信仰によって救われることが摂理のうちに明らかにされました。
救いは罪の結果である死からの救いというのはその通りです。それだけではなく、罪の結果による「奴隷状態」からの解放も意味しているということを聖書から学んで欲しいと思います。
 
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