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皆が知るべき教会の歴史 3

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2009年 8月24日(月)09時11分47秒
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  4. 宗教改革の黎明

漆黒のような霊的暗黒が覆っていた12世紀、魂の救いの道を提示しなければならな
いキリスト教の教理はローマ教会の背徳で深刻に汚染された。教会がこれ以上救い
の信仰を維持できないのは明らかであった。あちこちに神のみ言葉の欠乏と魂の糧
のない人々の不安と恐怖におびえた叫びが響き渡った。

改革の先駆者−ワルデンセス Waldenses
最初に喉が渇き飢饉になるのは教会信徒だった。歴史家J.A.Wylie が“教皇権の真
昼は世界の真夜中であった”と表現したように、ローマカトリック教会の全盛期の
12世紀は霊的に真夜中だった。その中で1170年頃フランス南部からかれらの指導者
だった献身した平民Peter Waldoの名前をもとにthe Waldensesと呼ばれる一団の一
般信者たちが起こり、(1)ローマカトリック教会の伝統を拒否し純粋な聖書信仰
を提唱し、(2)煉獄教理を否定し死んだ人のための祈りを反対し、(3)聖餐式
のパンとぶどう酒が司祭の祝聖でキリストの実際の肉と血に変形するという化体説
を否認した。(4)ローマカトリック教会は間違うことがないという無誤謬説を反
対し一般信者の伝道する権利を要請した。(5)彼らの中に第七日安息日を守る群
が起こった事が歴史家たちによって確認されている。

険峻なアルプス山岳地帯を避難所とし、行商をしながら伝道した彼らはローマカト
リック教会の残酷な迫害で数多い犠牲者を出し、ヨーロッパの22カ国に離散した。
ワルデンセスは1545年にも4千人が虐殺される事件を経て、今日でも未だにイタリ
アに残っている。これは最初のプロテスタントである。

宗教改革の早暁の星−イギリスのウィクリフ
ワルデンセスの改革がイングランドに至った頃、14世紀ヨーロッパの最高名門であ
るOxford大学の最も有能な学者として国王の宮廷家庭教師であったジョン・ウィク
リフ(John Wycliffe. 1384没)は、ワルデンセスの教えを神学的に確立擁護して
発表した。彼は(1)教会の唯一な頭はキリストであり、教皇は“反キリストの代
理者”(the vicar of Anti-christ)と宣言した。(2)煉獄を否定し聖者礼拝と
遺物崇拝を反対し、(3)化体説を論駁否定し、(4)列聖人と教会の無誤謬を否定
し、(5)救いは人間のよい行いではなくキリストを信じる信仰によって受けると教
え、(6)禁書だった聖書を国民が読むことが出来るようにラテン語から英語に翻
訳し、(7)ワルデンセスの本を背負って文書伝道者the Lollardsと知られた信徒
たちを訓練し、全国を巡回伝道させた。

宗教改革の火花−フス、ジェロム、サボナローラ
オクスフォードを中心に拡散したウィクリフの教えはヨーロッパ大陸にも広まり、
今のチェコスロバキアのプラハ大学総長のフスJohn Hus (1360~1415)と同大教
授ジェロームJeromeに改革の火をつけた。彼はウィクリフの教え以外にも一般信者
たちも司祭たちのように聖餐式の時にブドウの杯を受ける権利を要求した。彼らは
即時異端として破門され開会中だったコンスタンス宗教会議(the Council of
Constance)に出頭し尋問を受けた末、安全通行を保障した皇帝の裏切りで教皇使
節に逮捕され修道院監獄で拷問を受けたが、1415年7月頑固な異端者という罪目で
火刑に処された。ジェロームも翌年5月に火刑で処され、この地の改革の火は消え
た。一方ローマカトリックの本拠地のイタリアのフローレンスFlorenceでも医学を
勉強したドミニカン修道士のサボナローラG. Savonarola(1452~1498)が立ち上が
って教皇の権威を否定し、腐敗したローマ教会の改革を公然と主張して異端者と断
罪され46歳に火刑に処せられたが、ルネサンスの巨匠ミケランジェロMichelangelo
は彼のメッセージの聴衆の一人だった。
 
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