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皆が知るべき教会の歴史 10

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2009年 8月31日(月)06時44分7秒
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  10.第七日安息日イエス再臨教(SDA)の形成と過程

最後の教会の誕生
受難週日の初日、イエスは王の到来を象徴する(ゼカリヤ9:9)ろばに乗りエルサ
レムに入城された。キリストの王国が今しも地上に樹立されると誤解した弟子たち
と群集たちの期待は高揚していた(ルカ19:28〜40)。しかし十字架の事件で彼ら
の期待は散々に破れ、雲のように群がった大衆は瞬く間に散らばり、弟子たちは深
い失望落胆に陥り、なすすべがなかった。
しかし、その後復活したキリストは失望に打ちひしがれる弟子たちと女たちに何度
も現れ、自ら聖書を教えることによって十字架の真実を明らかにし、復活の確信を
与え、全世界にこの福音を伝えなければならない偉大な使命を委任された(マタイ
28:16〜20)。こうして十字架に失望して約50日、昇天してからわずか10日で、女
性を含めた120人の群れが集まったエルサレムの小さな屋根裏部屋で人類救済の歴
史と世の運命を変えたキリストの教会が誕生した(使徒行伝1:12〜15,2:1〜5)。

これと同様な歴史が、十字架の救済史の収束する世界の大贖罪日が始まった1844年
の大失望後に再演された。再臨を期待した約10万人の再臨信者たちが大失望と共に
散らばった後、聖霊が導いた聖書研究を通して天の至聖所の奉仕の真の意義に気づ
いた少数の再臨信者たちは再び集まり、1848年、1849年、そして1850年と毎年何回
も屋根裏部屋の集まりを開いて、夜が明けるまで祈りと聖書研究で時間を過ごした。
そうして中世の1260年の期間が過ぎた後(ダニエル12:7)、口には蜜のように甘か
ったが腹では苦くなる霊的な経験を経て(黙示録10:10)、天の至聖所の奉仕が始
まる時に(黙示録11:19)あらわれると予言された、「女の残りの子ら、すなわち、
神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たち」(黙示録12:17)の誕生の
ための場所が備えられた。

各々違う教派の背景と信仰経験を持つ50人内外の再臨信者たちが集まった。この集
まりで、彼らは大祭司長であるキリストが天の至聖所で大贖罪日の奉仕をなさって
いることを確認し、週の第七日が聖書のみを信仰の基準と信じる全てのクリスチャ
ンたちの唯一で真の安息日であることを再確認した。さらに加えて、エレンGホワイ
トを通して与えられた言葉の光が、「律法と証の言葉」(イザヤ8:20)に一致し
た預言の賜物であることも確信できた。それだけでなく、この集まりでは宗教改革
の進展によって出現した全てのプロテスタント教会の立場が聖書の光の中で徹底的
に検討され受容された。実際に1848年春から開いた一連の聖書研究大会Sabbath
Conferencesの結果、1860年「第七日安息日イエス再臨教」(Seventh-day
Adventist)の名称を採択し、1863年に22人の按手牧師と8人の伝道者、3500人の
信者として「大総会」(General Conference)を組織するに至った。彼ら再臨運動
の後裔たちは実際に全てのプロテスタント教会を代表していた。その間、厚い障壁
でクリスチャンたちを分けていた教派的な偏見は再臨メッセージの熱情と続く大失
望の衝撃で全て溶けて崩れ、教派というものが聖書の真理をありのままに理解する
のにこれ以上障害にならなかった。その結果、凝固した第七日安息日イエス再臨教
会はどのような聖書的信仰を結集したのか?

プロテスタント信仰の溶鉱炉
実際にWilliam Millerの再臨運動からSDA教会が形成されるまで、その名が知られ
た数だけでも174人のプロテスタント牧師たちが再臨運動に参加したことを言及し
たがこれよりはるかに多い一般信者指導者たちも含めていた。このような神学的構
成と歴史的過程を経て教会が誕生した場合がかつてあったか?それは実に16世記宗
教改革以来、改革者たちと彼らの改革を受け継いだ各教派が断片的に発見し回復し
た聖書的信仰を一所に集めて融合し、ついに宗教改革を仕上げ完成させようとする
神の摂理としか言いようがない。

その結果であるSDA教会はついにどのような聖書的基本信仰を持つに至ったのか?
SDAの27個事項の基本教理条項にその信仰内容が、16世記以来進行されてきた宗教
改革が神の摂理に従って集大成として仕上げられたことをあらわしている。宗教改
革のどのような遺産たちが結集されているか?次は再臨運動を通してSDAに伝授さ
れた宗教改革の遺産とその可否を本書で提示した論証を根拠に整理してみる。

・ルターを含む改革者たちの教えに一致するように、聖霊の霊感によって書かれた、
旧約聖書を絶対誤謬がない神の御言葉として信じ、教会の伝統ではなく唯聖書だけ
(sola scriptura)が信仰と実践の唯一な規範であることを信じる。

・ルターを含む改革者たちのように、人の救いは人間の行為や功徳によって成り立
つのではなく、唯だ神の恩恵(sola gratia)によるプレゼントであることを信じる。
このような救いの経験は聖霊が御言葉を通して歴史することによって、イエスを主
とキリストとして、罪人のための代贖罪と完全に見習う模範と信じる信仰(sola
fides)によって可能になる。

・WaldensesとWycliffeが明らかにし、ルターが再び明らかにしたように、人間の
行為やカトリック教会組織が提供する功徳の代わりに、信仰による救いを主張する。
また中世教会が主唱した伝統の代わりに聖書を、教権の代わりにイエス・キリスト
を教会の唯一の頭とする。万人司祭職を提唱しルターやTyndaleの教えのように、
煉獄教理とそれを支える古代エジプトとHellas(Greek)の思想である霊魂の不滅を
非聖書的誤謬として排除し、新、旧約聖書、特にキリストの教えと復活によって立
証された条件的不滅と復活信仰を確信する。しかし中世教会のミサ制度から完全に
抜け出せなかったルターの中途半端な礼拝儀式と聖餐式での聖体共存説、義と審判
の標準である律法の福音的機能に対した軽視などは彼が置かれた時代的制限を考慮
することによって理解できるがこれを受け入れはしない。

・中世カトリックとルター、Calvinなど改革者たちにみな同じ苛酷な迫害を受けた
Anabaptist派の改革信仰が一部で極端的で疑問的な傾向を出し物議をおこしはした
が、聖書信仰の回復のため大多数の健全なAnabaptist派の寄与は至大なものと評価
する。信仰の唯一な根拠とする聖書の熱心ある研究と実践的な敬虔を強調したこと、
政治と宗教の徹底的な分離を主張したこと、幼児洗礼を非聖書的なものと否定し成
人信者の洗礼を教えたこと、死の無意識的な状態と復活信仰、信仰と良心の自由を
擁護したことと迫害者たちに対する寛容、平和愛護、何よりもキリストの再臨を強
調し待ち望んだ彼らの信仰はプロテスタントが受け入れなければいけない宗教改革
の偉大な遺産と信じる。

・ルターと共に宗教改革の両大主流を成したCalvinの役割を改革の過程で必須的な
ものとして高く評価する。ルターの改革を継承し補完しながら神主権を強調し、聖
書主の徹底的な信仰とその権威に服従することを教えた聖書的信仰、人間の救いに
おいて神の恩恵の本質と義の標準になる律法の機能を均衡(バランス)よく教えた
こと、聖書的なプロテスタント礼拝の確立、象徴としてのComminionの霊的意味を強
調したこと、長老制度を確立した教会組織とプロテスタント教育制度の土台をおいた
ことなどはプロテスタントの信仰の継承に必要な要素と受け入れている。

・しかし神の主権と栄光を偏って強調した結果、神学と信仰の調和を喪失させた
Calvinの二重予定、制限された贖罪、無条件的な選択、不可抗力的な恩恵などは聖
書と人間の経験に反することと判断する。Wesleyによって純化されたアルミニウ
スの教えを、より聖書的なこととして理解し、Calvinが取った排他的な立場の代わ
りに聖書と一致する色々な原則を適当に選別することが妥当だと信じる。
(訳者注:現在のSDAはアルミニウス主義に拘らない。更に進んでいる)

・Calvinは十戒の福音的機能を正しく理解しこれを神の義の標準として適切に提示
した。しかし唯一つ第四戒の安息日に対しては「教会内で秩序を保存する」方便と
して、七日に一回ずつ集まる便利な日という程度に教えたのは聖書信仰に相容れな
い任意的解釈であった。結果的に、安息日は一週間のうちどの日でも構わないので
はないかという誤解を信者に与えたことは彼の主義が持つ最大の欠陥と判断される。

・またCalvinがアウグスチヌスの影響を大きく受けた運命論的な予定説を提唱し、
プラトンを通して紹介された中世教会の霊魂不滅思想を改革教会の信仰として伝授
させたこととプロテスタントの煉獄に該当する中間状態の概念を紹介したことは改
革信仰の進展に大きな障害を残したこと言わねばならない。また神学や信仰で異説
や異見を持つ人たちを火刑と追放など苛酷な方法で対応したことに同意せず、ジェ
ネバの神政でみせられたような政教の関係は新約聖書の教会観に大きく反するもの
と看做される。

・ルターに続き宗教改革を進展させたCalvinの役割は必須的だったが、ルターと同じ
ように彼も中世教会の霊的汚染からすべて一度に抜け出すことができなかった「そ
の時代の子」としての限界は理解する。しかし非聖書的な教えは明らかにされた光
によって徹頭徹尾矯正し補完されねばならないと信じる。

・会衆派清教徒たちがみせてくれたように聖書に一致した徹底的な信仰と敬虔な生
活、聖霊の支配を受け個人の良心と判断による自由な信仰と聖書解釈、政教の徹底
的な分離原則を聖書的信仰として受け入れる。
 
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