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読者への訴え
紆余曲折の教会の歴史を共に読んでいただいている読者のみなさんと紙面で別れよ
うとしながら、1620年米国の国父であるPilgrim Fathersを育てた尊敬される会衆教
清教徒牧師Robinsonの告別説教を想起する。
「兄弟たちよ、私たちはもうすぐお別れです。私がみなさんの顔にまた会えるか
は主だけがご存知です。主がそのような機会を与えようが与えないようが、私は
神と聖なる天使たちの前でみなさんに責任を与えます。。。神はその方が使うほ
かの方法を通して何でもみなさんにあらわそうとする時は、かつて私の奉仕を通
してあらわれた真理をみなさんが受け入れたように、それを受け入れる準備を整
えてくださいます。なぜなら、私が確信したように、神はあなたの聖なる御言葉
から注ぎ出る多くの真理と光をもっているからです。」
「みなさんに先に知らされたことやこれから知らされる主の道を歩んでいくと同
意したようにみなさんの教会の誓約を記憶してください。神の記録された御言葉
からみなさんに知らされる光と真理が何であれそれを受け入れると神に誓約して
また互いに約束したことを覚えてください。しかし、より気をつけるようお願い
したいのは、みなさんが真理として受け入れようとするのは事前にそれを聖書の
ほかの真理と比較して試してみなければいけないことです。なぜなら、キリスト
教界は最近までぶ厚い反キリスト的暗黒の中にいたので、一度に完全な知識に回
復される事は不可能だからです。」
どんなに美しく思慮深い改革者の信仰であるか?教派に縛られず“聖書のみ”の聖
書信仰、新たに明かされた聖書の真理を受け入れるため偏見を投げ捨て心を広々と
開けた義の信仰、人間改革者や世の賢人に固着せずキリストに基づいた救いの信仰、
このような改革信仰を私たちは持っているか?
ルターとCalvinの改革以後、どれほどもっと新しい真理、どれほどもっと明るい光、
どれほどもっと驚くべき覚醒が聖書からあふれ出てきたか?わたしたちはそのよう
な新たな光に正直に反応してきたか?苦難や死にも辞さなかったルターの“神の御
言葉に自らを縛った良心”が私たちに何を意味しているか?踏みつけられた聖書信
仰を一歩一歩回復するために獄に閉じ込められ首を切られ、水に投げられ火に燃や
された無数の改革者たちの犠牲をどのように考えるか?それを実に正しく評価する
なら今の私たちがするべきことは何か?“これらの人々はみな、信仰によって証さ
れたが、約束のものは受けなかった。。。わたしたちをほかにしては彼が全うされ
ることはない”(へブル11:39,40)。
そうだ。ここに最後の時代に住んでいる我々がなすべきことがある。それは我々だ
けができることなのだ。血と汗と涙と命をかけて真理を守る善と悪の戦いを完結さ
せなければならない歴史的な使命と特権が最後の時代の聖徒たちに与えられている。
そしておぞましい罪の統治が終わり戦慄する苦難も死も終わるだろう。栄光のキリ
ストの再臨において全ての約束が一大成就するのだ。
このように長く続いた真理を守る戦いを勝利に終える最終時代の神の民である「女
の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たち」
(黙示録12:17)になることはなんと驚くべき特権であり形容できない栄光か?そ
れはたった一度生きて結局は死んでしまう全ての人間が享受できる中で最も甲斐が
あり貴い暮らしではないか?
今まで、信仰と不信、忠誠と背信、真実と偽善、従順と不従順、勇敢と卑怯、傲慢
と謙遜、貧しい暮らしと堂々とした死が混乱して錯綜した善と悪の戦場となったキ
リスト教歴史の現場を経験した者たちが、長かった暗闇の代わり永遠の夜明けとな
る真理の光を選択する。
暗闇はわざわざ指定して選ばれる必要がない。光を拒絶した結果が暗闇だからだ。
「真理を行っている者は光に来る」(ヨハネ3:21)ものである。「神のみこころを
行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教えが神からのもの
か、それとも、わたし自身からでたものか、わかる」(ヨハネ7:17)ようになる。
紙面を通して心から深く交わりキリスト中で兄弟姉妹になったことを確認した者た
ちが、与えられた光と真理のために“死ぬまで忠誠”であることによって“いのち
の冠”(黙示録2:10)をついに受ける。「これらのことをあかしするかたが仰せに
なる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。主
イエスの恵みが、一同の者と共にあるように」(黙示録22:20,21)。
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